国公労新聞|2025年6月10日号|第1645号

【国公労連2025 沖縄支援・連帯行動】
沖縄の過去と向き合い、未来へつなぐ
いま、私たちにできること

 国公労連は5月23日〜25日の3日間、沖縄支援・連帯行動を沖縄県内で実施しました。総勢40人の仲間が全国各地から参加し、戦跡や基地の見学を通じて沖縄の歴史や沖縄とともに私たちが抱えている諸問題を学び、交流を深めました。(取材=国公労連・鎌田 亘)

 初日は、沖縄の基地問題について学びました。那覇空港に集合し、沖縄平和ネットワークのガイド下地輝明さんとともに出発。バス内で沖縄の米軍基地問題や沖縄戦の歴史について説明を受けながら、那覇軍港の移設工事がすすむ浦添西海岸を見学し、埋め立てられる予定の美しい海を前に、沖縄の自然と暮らしが脅かされる現実を目の当たりにしました。
 続いて、激しい地上戦の跡が多く残されている嘉数台公園から「世界一危険」と言われる普天間飛行場を視察した後、「道の駅かでな」から嘉手納基地を視察しました。住宅地のすぐ側にある基地の危険性や、実際に戦闘機が離陸する際の轟音と排気ガスの悪臭を体感し、基地とともに生きる沖縄の厳しい現実を、参加者一人ひとりが肌で感じました。
 夕方からは、バーベキュー形式の交流会を開催。沖縄県国公からも青年組合員を中心に16人がゲストとして参加し、ステージでのマイクパフォーマンスで会場を盛り上げました。地域・職場・年代を超えた貴重な交流の場となりました。

地上戦の実態に言葉失う

 2日目は、沖縄戦の実相に迫りました。
 糸満市の平和祈念公園を訪れ、沖縄戦で敵味方関係なく犠牲になられた全戦没者の名前が記されている「平和の」を見学。平和祈念資料館では、下地さんの学習会で学びを深めつつ、資料や遺品を通して、住民を巻き込んだ凄惨な地上戦の実態に、参加者の表情も真剣さを増しました。

自らの目で学んだ青年たち

 その後は、国会議員の問題発言で注目されているひめゆり平和祈念資料館を訪問。生存者とともに作られた展示には、看護要員として動員され食事も休憩も取れない極限の環境で看護にあたり、「各自で避難せよ」の解散命令により激戦地に放り出され犠牲になっていった学生たちの記録が残されていました。今回多くの参加があった青年組合員からは「議員の発言は史実と違っていた」、「自分の目で学ぶことができてよかった」との声が上がり、過去をきちんと知り、未来につなげる大切さを感じました。続いて、戦後3万5千柱を超える遺骨が納められたの塔を訪れ、黙祷しました。
 最後に訪れたのは、南城市の糸数壕(アブチラガマ)。火炎放射の痕が今なお残る壕の内部で明かりを消し、暗闇体験も実施。「とても生活できる環境ではない」との声に、下地さんは「壕の中はマシと思えるほど、外はもっと過酷だった」と語り、戦争の現実を参加者に突きつけました。

日本が変われば沖縄も変わる

 最終日、那覇市内の旧海軍司令部壕を訪れました。戦時中、多くの住民が動員され、過酷な環境のなか5か月もかけて昼夜を問わず掘ったものの、実際はわずか10日間で陥落したと聞き、参加者から「虚しい」との声がもれました。およそ500人が亡くなったとされる壕内には、手榴弾で自決した跡なども残っていました。
 続いて、米軍に撃沈された学童疎開船の記録を伝える対馬丸記念館を訪問。事件の背景と被害の実態について講話を受けた後、資料館内を見学しました。
 最後に下地さんは、行動のテーマである「いま、私たちにできること」について、「皆さんの職場や地域が日常的に抱える課題に全力で向き合ってほしい。日本が変わらなければ沖縄も変わらない。一人ひとりが行動することで日本は変えられる。遠回りに見えても、それしか道はない」と力強く呼びかけ、行動を締めくくりました。
 参加者からは、「下地さんの説明に合わせた旅程で歴史を追体験しているようだった」「沖縄の問題は決して他人事ではないと実感した」との感想が寄せられました。

沖縄の思いを学んだプレ企画

 5月14日にはプレ企画としてオンライン平和学習会を開催。各単組や県国公から約70人が参加し、「沖縄の歴史、悲しみや怒りを知ろう、伝えよう」をテーマに開建労の仲里孝之書記長を講師に迎え、学習しました。
 仲里さんは、琉球王朝が中国・唐との関係を築いていた時代から、大和による併合と同化政策、そして戦後の米軍統治から現代に至るまでの歴史を丁寧に解説。第二次世界大戦中、本土防衛の「捨て石」とされた沖縄戦の悲惨さや虚しさ、戦後27年間の米軍統治によってもたらされた数多くの苦難、そして辺野古などで現在も続く米軍基地問題や地位協定に触れ、常に大国の利害に翻弄されてきた歴史を学びました。
 参加者からは「当事者の思いを学ぶことができた。基地問題や政治との関わりを知り、私たちに何ができるか考えるきっかけになった」「基地建設を止められない政治状況は人間が作り出したもので、私たちが何とかしなければならないという思いを強くした。これを足掛かりに周りへ広げていきたい」などの感想が寄せられました。

【人事院交渉】行(二)職員から切実な声
働き方と賃金の不均衡訴える

 国公労連は6月2日、国土交通労組、全法務及び全国税の行(二)組合員を含む12人の参加で人事院交渉を実施しました。
 全国的に頻発している大規模な自然災害では、国の行政機関が担う自動車運転業務の重要性が改めてクローズアップされています。行(一)以外の俸給表も職務の特性に見合った「アップデート」など、きめ細やかな検討を求めました。
 組合員からは、「定年延長後も仕事内容は変わらないのに30%もの賃下げはおかしい」「50代以下の行(二)職員はほとんどが付加業務をしており、働き方と賃金が見合っていない」「旅費制度が変わり、出張でどれほど運転しようが日当がなくなった。仕事量は増えているのに減収だ」「能登半島地震を経験した。現地へ行く官用車は必要。不補充政策の撤回を」「災害応急作業等手当を運転手にも適用するよう求める」といった職場からの切実な声を伝えました。
 人事院からは、「行(一)以外の俸給表の給与水準は、行(一)との均衡を基本に所要の改正を行っている」「部下数要件の運用は可能な限り配慮してきている」「60歳前後の給与カーブの在り方は、民間水準を注視しつつ検討していく」といった従来回答にとどまりました。
 最後に国公労連から、行(二)俸給表の号俸の延長、官民較差の重点的配分などあらゆる措置を検討し、行(二)職員の処遇を早急に改善できるよう25人勧に反映することを求めて交渉を終えました。

25年4月からの制度改定と今後の課題

【第四回】職員の健康と家庭生活を守ろう

子の看護休暇の拡充を実現

 民間の育児・介護休業法等の改正に準じて、子の看護休暇が改善されました。
 その内容は、①対象となる子の範囲を小学校3年生修了時(9歳)まで拡大(従前は小学校就学前[6歳])、②取得事由について、(ア)感染症に伴う学級閉鎖や出席停止などの場合の子の世話、(イ)子の入園、卒園、入学の式典などへの参加に拡大(従前は子の病気、けが、予防接種、健康診断の場合の世話)であり、それに伴い名称が「子の看護等休暇」に変更されました。
 しかし、いずれの改善も不十分と言わざるを得ません。対象となる子の範囲は、小学校4年生以降の児童であっても、医療機関の受診などに保護者の同伴が不可欠です。また、小学校の卒業や中学校の入学でも、その式典には保護者の出席が要請されます。最低でも、中学校3年生修了時(15歳)まで拡大すべきです。
 さらに、現在の取得可能日数は1年で5日(子が2人以上の場合には1年で10日[子が3人以上の場合でも10日])ですが、その拡大は実現できませんでした。とりわけ多子世帯、ひとり親家庭、医療的ケア児などの実情が考慮されていないなど、取得可能日数の絶対的な不足が指摘されています。②のように取得事由が拡大されるならば、職員の1人当たりの取得日数が増加することも想定されます。
 当面の措置として、子の1人当たりの取得可能日数を1年で10日(子が3人の場合には30日)とする必要があります。

非常勤職員の病気休暇も有給に

 非常勤職員の病気休暇(私傷病)の有給化も実現しました。
 もっとも、取得可能日数の拡大には至りませんでした。現在は、週5日勤務の場合に1年度で10日が限度となっています。常勤職員の病気休暇が「必要最小限度の期間…連続して90日」であることと比較すれば実質的に9分の1にまで制限されており、不合理な格差と言わざるを得ません。
 非常勤職員の疾病関係休暇のうち、取得可能日数の上限が定められていない妊産疾病休暇、生理休暇、公務上傷病休暇、子の看護等休暇の有給化も今後の課題です。
 人事院は、有給化を病気休暇にとどめた理由として、「任用の特性上、当該職員が有給の休暇により長期にわたり勤務しない場合は、当初の採用目的そのものが果たせなくなるおそれがある」と説明しています。恒常的な業務に長期にわたって従事している非常勤職員の実態を踏まえれば、「当初の採用目的」を理由とした常勤職員との格差は、およそ合理性がありません。
 さらに、病気休暇の有給化の理由として、「有為な人材を安定的に確保する」という前提のもと、①「健康経営」の重要性(職員のWell-Beingの実現)、②感染症に罹患するリスクの考慮、③民間の病気休暇の状況(正社員との均等・均衡待遇)などとしています。これらの観点は、あらゆる疾病で考慮されるべきです。

【税制改革の提言】あるべき税制を考える

【第一回】憲法に基づく応能負担を

 国公労連は「税制改革の提言」を継続的に公表し、更新版を機関誌等に掲載してきました。
 税制はわが国の政治、経済、社会のあり方と一体の課題であり、人々の生活に重大な影響を与えます。
 国公労連の「税制改革の提言」は、国家公務の労働組合の立場から、応能負担の原則にもとづく税制改革の必要性を訴え、国民本位の税財政・行政の確立をめざすものです。

半世紀にわたる運動

 このとりくみは、税制の方向を左右する政府の税制調査会(政府税調)に対し、全国税が1976年にはじめて意見書を提出したところから発展しています。翌77年には、政府税調が一般消費税についての答申をまとめる直前、国公労連と全国税が共同で意見書「税の執行および税制に関する当面の意見について」を政府税調に提出し、その記者会見の内容が一斉に報道されるなど大きな注目を集めました。この運動は国公労連の「国民本位の民主的財政再建のための提言」(82年)へとつながり、それ以来、税制に精通した全国税の協力のもと、現在は行財政総合研究会において毎年の提言の内容を議論し、情勢に即したアップデートを行っています。

応能負担の原則とは

 2025年版「税制改革の提言」(『KOKKO』58号掲載)においても、当初の提言から一貫し、その根幹は「応能負担の原則」の徹底にあります。
 税金とは、国や地方自治体が活動を営むために、強制的かつ反対給付なしに国民からお金を調達することです。そのため、公平でなければ成り立ちません。公平性を担保する課税原則としては従来、「応益負担原則」と「応能負担原則」が知られています。「応益負担原則」は、様々な行政上のサービスを受ける(受益の)度合いに応じた負担が望ましいとして、地方税の根拠として主張されます。人々の能力(担税力)に応じて公平に税金を負担するという「応能負担原則」は、国税の根拠として主張されます。
 私たちは、税金の負担のあり方として、国・地方を問わず、応能負担原則が日本国憲法の要請する原則であると考えます。すなわち、国や地方自治体が憲法第14条(法の下の平等)、第25条(生存権、国の社会的使命)の保障に反して租税に関する法律を作ってはいけないという考えです。「健康で文化的な最低限度の生活」を全ての国民に保障するためには、応能負担の観点から、「最低生活費には課税しない」という原則を徹底した上で、担税力のある納税主体にその責任を果たしてもらう必要があります。
 しかし、この間に政府が行ってきた税制改革はその逆でした。法人税の減税や金融所得に対する分離課税などで大企業や富裕層を優遇する一方、課税最低限のない逆進的な消費税を基幹的な税とするなど、税制の公平性が歪められてきました。次回以降、各税制の課題とともに提言の内容を紹介します。

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