「働かせ過ぎ」の真因から目を背けることなく実効ある対策に着手すべき
――職員にのみ負担を強いる「ゆう活」は中止を(談話)

【私たちの主張:私たちの主張】2016-05-20
 2016年5月20日
                      日本国家公務員労働組合連合会(国公労連)
                                          書記長 鎌田 一

1、政府は本日(5月20日)、次官級連絡会議において「平成28年度 国家公務員における『ゆう活(夏の生活スタイル変革)』実施方針」(以下、実施方針)を示し、今年度の「ゆう活」実施について各府省への訓示を行った。
 実施方針は、朝型勤務により退庁時間を早める一方で官庁執務時間(8:30~17:00)を変えないという矛盾した枠組みは変えずに、新たにフレックスタイム制の活用や実施時期について昨年の7・8月に加えて各府省の判断で6月と9月以降の実施も可能とするなど、運用を拡大する内容である。
 国公労連はこの間、政府に対して、職員に労働時間の弾力化・柔軟化という負担を強いる「ゆう活」の問題点について、アンケート結果などをもとに具体的に指摘して、中止すべきであると再三再四指摘してきた。同時に、実効ある超過勤務縮減策として、定員管理政策の見直しによる体制確保や窓口業務等に受付時間を設定するなどの具体的対策を措置するよう政府に提案してきた。しかし政府は、国公労連の意見をまったく無視して、労働条件の根幹である労働時間の変更に関わる実施方針を一方的に決定した。このことは国家公務員労働者の権利と労使関係を軽視するものであり、我々は、「ゆう活」実施に固執する政府の姿勢に厳しく抗議する。
 
2、実施方針では、昨年と同様に、①ワークライフバランスの実現、②業務の効率化、③行政サービスの向上を「ゆう活」の目的として掲げている。しかし国公労連は、いずれの課題についても、それを実現するためにはまず、超過勤務を前提とした現在の働き方を抜本的に見直す必要があり、「ゆう活」は政府の目的とする効果は少なく、朝型勤務はむしろ職員の健康確保、通勤事情、窓口対応、チームでの業務運営などで逆効果になりかねないとの懸念を指摘してきた。
 実際、国公労連が昨年の「ゆう活」実施後にとりくんだ「『ゆう活』に関する実態アンケート」(以下、実態アンケート)の結果では、国公労連の指摘してきた懸念が現実として明らかとなった。実態アンケートでは、超過勤務について「変わらない」70.1%、「短くなった」18.1%、「長くなった」6.0%と回答、行政サービスについて「変わらない」78.5%、「向上した」1.4%、「支障が出た」14.0%と回答、「ゆう活」の意義について、「ある」がわずか22.3%、「ない」「どちらともいえない」が74.5%と回答したように、目的とした効果はごくわずかであった。それどころか、生じた問題について、「家族に迷惑をかけた」15.5%(本府省13.5%)、「体調不良」9.4%(同15.6%)、「通勤が不便・困難」11.6%(同27.7%)、「仕事の効率が落ちた・疲れた」11.5%(同15.6%)と回答するなど、「ゆう活」によって問題が生じたことは見過ごしにはできない。
 今回の実施方針は、昨年の反省すべき点をまったく考慮していないものであり、国公労連としては、「ゆう活」の実施に反対である。
 
3、さらに問題なのは、政府が「ゆう活」をなかば強引に実施したことである。実態アンケートでは、「ゆう活」の実施を「強制的に求められた」の回答が10.0%(本府省22.8%)、「仕方なくとりくんだ」が11.1%(同9.8%)という結果が出た。そのため政府は、今回の実施方針で、対象職員について前年の「できる限り多くの職員に実施させる」という表現を「できる限り多くの職員が実施できるよう努力する」に改めた。しかし昨年も、実施にあたって「強制するものではない」とした政府姿勢や、実施直前の6月22日に内閣人事局が発出した「職員毎の体調及び業務状況に配慮した柔軟な運用が必要」との事務連絡について、各府省や現場段階で管理者等の受け止めが異なり、政府の意向が徹底されなかった。
 その背景に、政府の「国家公務員の女性活躍とワークライフバランス推進のための取組指針」(2014.10.17決定、2016.1.28改正)や「国家公務員の労働時間短縮対策について」(2002.12.9決定、2015.3.24改正)などで、「ワークライフバランスに資する取組について適切に人事評価へ反映する」として幹部職員と管理職員の目標に設定されたことがある。そのため昨年の「ゆう活」の実施にあたって、管理者等が数値目標を掲げたり、職員に実施状況の高低を問うなど、実質的な強制となる対応が横行した。したがって、今回の実施にあたっても事実上強制される懸念は払拭できない。
 また、今年度から制度化された新たなフレックスタイム制については、あくまで希望する職員に限定された制度であり、「ゆう活」のカテゴリーに位置づけられたことは、昨年の実例からも問題である。人事院は、国公労連の要求に対する春闘期の回答で「希望していない職員に申告させ、適用を強制するような運用はあってはならず、各府省に周知している」と回答しているが、それを担保させるための政府・人事院の責任は重い。
 
4、近時、政府は「ゆう活」やフレックスタイム制などの「柔軟な働き方」を強調しているが、そもそもその姿勢が問題である。労働時間は、国際労働基準でも定量的かつ定型であることが求められており、諸外国でもそれがスタンダードで、労働基準法もそれを基本としている。それは、労働時間のあり方が、労働者の生活のリズムに影響して、労働者の健康と命に関わることが、永年の経験で明らかになっているからである。
 一般社団法人日本睡眠学会が、「ゆう活」の実施にあたって「眠りの量への影響が大いに懸念される」「国民の睡眠時間が短縮する可能性が懸念される」という異例の見解を昨年7月に公表したことや、政府の「健康づくりのための睡眠指針」でも睡眠時間の変化が体内時計に影響を及ぼすことが指摘されていることからも、朝型勤務が健康に大きな影響を及ぼすことがわかる。
 日本はILO(国際労働機関)条約のうち労働時間に関わる18の条約をすべて批准していないが、それは、変形労働時間や裁量労働などの労働時間の弾力化・柔軟化を放置しているからである。それでも労働時間は、賃金とともに労働条件の根幹をなすものであり、民間では、柔軟な労働時間を設定する場合は、労使合意が前提とされている。
 しかし国家公務員は、労働協約締結の権利が制限されており、現行でも使用者が好きなだけ超過勤務を命令できる。その環境での労働時間の弾力化・柔軟化は、労働強化と健康破壊を増幅させる可能性が極めて高い。
 したがって、国公労連は、「ゆう活」の実施には反対であり、政府は実施を中止すべきである。そのうえで、ワークライフバランスなどを目的とするのであれば、「ゆう活」ではなく、職場の長時間・過密労働を是正するため、実効ある措置を講ずるべきである。
 
5、国家公務員の超過勤務は、人事院の「平成26年度 年次報告書」によると、2013年の年間超過勤務間数が全府省平均で237.7時間、本府省で375.8時間であり、本府省では平均で上限の目安時間360時間を超えている。しかしこれとて実態を正確には反映してはいない。同期間に霞国公(中央省庁の労働組合共闘組織)が実施した残業アンケート調査では、本府省職員の年間超過勤務の平均が444時間であり、時間外手当の不払いがあると回答した職員が47.3%にものぼっているなど、長年同様の実態であり、長時間労働はいっこうに改善されていない。同アンケートで、残業になる要因について、「業務が多いため」「人員配置が不適切なため」が毎年上位を占めているように、長時間労働の真の原因が、業務量に見合う職員が配置されていないことであることは、疑いようがない事実である。
 しかし政府は、前述の「国家公務員の労働時間短縮対策について」で、具体策として「幹部職員、管理職員の意識改革」「勤務時間管理の徹底」「定時退庁の促進」「事務・事業の簡素化」を挙げるなど、管理者や職員の「努力」に頼った対策を中心としている。現在、国家公務員制度担当大臣のもとに設置された「霞が関の働き方改革を加速するための懇談会」(2016年3月14日発足。座長・小室淑恵・(株)ワーク・ライフバランス代表取締役社長)の議論も、今のところ「意識改革」などが中心課題であり、根本問題を避けている。
 もちろんこうした職員の意識改革や制度の周知徹底、業務の見直しを不断に実施することは重要であるが、この20年来、問題の解決に至っていない。それどころか政府は、「働き方改革」を推進する一方で、行政需要に見合う人員体制の確保を行わないばかりか、定員削減を推進しているなど、各施策の整合性にも頓着していない。
 このような真の原因から目を背け、それをタブー視した対策は、もはや限界に達しており、破綻していると言っても過言ではない。
 いま政府がなすべきは、職員の努力に頼った小手先の対策ではなく、国家公務員の働き方を困難にしている体制問題を解決するとともに、「働かせ放題」の公務員の超過勤務について、窓口受付時間の設定や労使協定の枠組みを確保すると同時に上限規制を法定化することである。そのため、定員削減計画の中止、総定員法の廃止を行い、国の機関の需要に見合った体制を確保して、国民の求める公務・公共サービスの効率・効果的運営を図るべきである。
 国公労連は、官民問わず、労働者使い捨て自由の施策を改め、誰もが安心して働き続けられる社会をめざすために、その一翼を担って奮闘する決意である。